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私達の経験
■佐野 智香子さん
徹平は三人兄弟、五つ上の兄、三つ下の妹。当時、徹平は三才で闘病中にお誕生日を迎え四才で天国に旅立ちました。

骨髄内腫瘍、進行が早く入院して数日後に呼吸が出来なくなり、私たち家族は30分以内に人工呼吸器をつけて治療を続けるか、このまま逝かせてあげるか苦渋の選択をしなければなりませんでした。

奇跡を信じて治療を続ける事にしました。
「てっちゃん、また幼稚園に行こうね。一人で遠くに行ったらあかんで」
そう言いながらも、つらい治療の中でこの選択がこの子にとって正しかったのか、親のわがままじゃ、なかったのか…と、思う日々でした。

治療を始めて三ヶ月、手足の麻痺で寝たきりですが、おしゃべりができるようになり笑顔も出るようになりました。「ママ」「おにぎり食べたい」「おうちに帰りたい」久しぶりの可愛い声。
「帰れるうちに帰ってください」医師からの言葉でした。この子には時間がない…兄弟と一緒に過ごさせたい。お友達に会わせてやりたい。そんな思いでいっぱいでしたが、帰るのは大変なことでした。

介護ベッド、酸素吸入器、吸引器、吸入器などの手配をし、胃めのカテーテルの挿入や吸引吸入、おなかのガス抜きなどの方法を学びました。不安でたまりませんでした。それでも家に帰ると、家事をしながら聞こえてくる楽しそうな兄との会話、笑い声、このまま時間が止まって欲しいと思いました。家族揃って明日が来ますように…一日一日がとても愛おしくて大切でした。

何度目かの外泊中に呼吸ができなくなりました。その時は必死で落ち着くことなんてできませんでした。幼い妹は、そんな私の姿を見て泣き叫びパニックでした。
「このままここで、家で逝かせてやろう」
と一瞬思いました。

病院に戻ると最後の力を振り絞って生きてくれました。ママとの約束を必死に守ってくれたんだ、家族が揃うのを待っていてくれたんだ、と思うと今でも胸が苦しいです。

私の中では家族が一緒に過ごすことは当然のことでした。でも闘病中はとても難しくて大変なことでした。

家族が家族らしく子どもが子どもらしく病気に立ち向かえるように、チャイケモ「夢の病院」を私は応援し続けたいと思っています。

佐野智香子さん
チャイルド・ケモ・ハウスボランティア。
徹平君の母。
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